2009年07月17日

前泊の歴史

前泊は屋取集落、ほとんどが寄留人

 現在の我々の祖先が前泊の地に降り立ったのは、いつからだろうか。田名のハル屋取(ヤードイ)の人たちを除くと、そのほとんどは明治以降である。琉球王朝時代は、地域間移動は禁止され、同じ伊平屋の島であっても田名と我喜屋で婿取り嫁取りにも厳しい制限があった。王府への貢納が原則として人頭割(じんとうわり)だったからである。ここで、屋取についてふれておこう。屋取は、宿(やどり)の意味であるが、本集落とは別に新しい土地に住み着くことをいい、そういう人達が集団となって新たな集落を形成する。 屋取には、ハル屋取、イチマン屋取、サムレー屋取があり、我が前泊の場合、この3つの屋取が混在して、集落を形成していてこれら屋取の人を寄留人(キリュウニン)あるいは、居人住人(チィジュ-ニン)といい、本集落の人を地人(ヂーチュ)といった。


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